神道はアートではないかと思う…

 




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先に今回の、アイキャッチ画像の説明をしておくと、近くの神社の森を散策していたときに、差し込んできた日の光を一眼レフのレンズに赤外線フィルターを付けて撮影したもの。一瞬、何の写真か分らないと思うけど…右上に社の三角屋根と左下に小さな祠が見える。

そして今回のテーマに戻ると…「神道はアートではないのか」と僕は考える。ただ誤解して欲しくないのは…この場合の神道とは宗教としての意味合いではなくて…子供の頃、よく遊んだ近くの神社やお祭り、田んぼ道に”ひっそり”とたたずむ祠など、日本の風土に自然と根付いている、さまざまな儀式や建物、日本人の精神みたいなものを指す。

なぜ、こんな考えに至ったのか?…それは写真を始めたから…。そして「写真を撮る」ということは、どういうことか?…と真剣に考え始めたからだ。少し前に書いた…見えないものを撮る…を先に読んでもらえると分ると思うけど…アート、つまり芸術って全てコンセプチュアルなものだと思う。

そして僕の考えるアートのコンセプトは、やはり「見えないものを表現すること」だと考えていて、その見えないものが…人の感動を呼ぶと思っているんだ。まぁこれは、僕の勝手な考え方だから、他人に強要するつもりはないけどね。そして…。

そんな考え方をしている僕からしてみれば、神道の儀式や儀礼なんかは、完全にアートだと思う。今の子どもたちが神事と、どう関わってるかは、あまりよく知らないけれど…昔、神社のお祭りで担いだお神輿は、もう完全なコンセピチュアル・アートだと思う。地域によってお神輿の様式も違うと思うけど…神社には御神体がいらっしゃって、お祭りの際には、御神体が「御くだり」され、社で一晩過ごされる訳だけれど…

この時、御神体が乗られる乗り物が、お神輿なんだ。間違っていたらごめん。神社によって違うかも知れないけど、だいたいこの説明で大丈夫だと思う。そして、ここからが大切な話なんだけど…御神体って、どんなものだと思うかな?…どんな形をしていて、何で出来ているとか…知りたいと思ったことない?

僕は子供のころ、知りたくて…御神体がお神輿に移られる儀式に潜り込んで覗いたことがあるんだ。御神体が移られる際には、本殿に到着したお神輿の周りに居る神職や奉仕の人達は全員頭を下げ、さらに真っ暗闇になってから御神体を、お受け入れになる。

つまり…目に見えない御神体に、そこにいる全員が礼を尽くしお迎えすること。これが神道のお祭りなんだ。知らなかった人は驚いたと思う。…話を戻すと…このお祭り自体が「目に見えないものを表現すること」だと思いませんか?。

子どもの頃の僕は、この御神体のお移りの儀式に、まだ納得できなくて、祭りが終わった後で、本殿の社の一番高い場所にある御神体がいらっしゃる場所に、忍び込んで中を覗き込んでみた。ごめんなさい。小学生だったので許して下さい。…でも中に何が祭られているのか…知りたくありませんか?

仏像のような神様が置かれていると、子どもながらに考えていた僕は、中を覗いて驚いた。御神体の祠の中には何にもなくて、ただ丸い鏡が一個、置かれているだけだった。何かを期待していた、子どものころの僕は、意味が分からず困惑したけど…今ならその「鏡」が何を意味するのか理解できる。

それは「映し鏡」を表していて、それ自体が御神体という訳ではなく…おそらく「光が作るこの世界」を見通すもの「光あるところ全て」に宿るもの。それこそが神であり神道なのだと、今の僕は考えている。そして、その神道をお祭りとして表現することこそ「コンセプチュアル・アート」だと思うのであります。

ちなみに、神社の本殿の祠で見た「鏡」のある暗室(祠)は…カメラそのものだと最近気づき(※一眼レフの中にも反射鏡がある)…もしかして「神もこの世界の観察者であり、撮影者であり、アーティスト」なのではないかと…最近、思いを馳せているのであります。

― リュウショウ・オカモト ―

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