フォトグラファー的スピリチュアルレッスンを自分に課して…

2019/01/17
 
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普段見過ごしがちな…小さな世界に目を向ける。フォトグラファーでもスピリチュアルの世界でも、意識を向けることは、その世界に入る第一歩だ。見過ごされた世界にこそ何かが宿る。カメラはそれを記録する、もう一つの自分の目。…そして、その世界に入る窓であり、写真の世界ではフレームと呼んでいる。これをどう切り撮るか…。

我々の住む3次元の世界を…この窓から眺め、そのまま2次元の世界に記録する。すると意識がその世界に向き…何かが目覚める。そう神聖な何かが…。

意識が目覚め…神聖な何かに気付いたとき、人はそれを ”アート” と呼ぶ。アートとスピリチュアルは平行に走る別の世界に見えるけど…本当は同じ意識の世界。意識を集中させる先が焦点であり…意識を誘導させるのが構図である事実。

この小さな小さな世界で、君は…どこを見て…どこに焦点を合わせ…何に導かれるのか?…試されている。

神聖な何かに近づく、もう一つのヒントは ”光” だ。「フォト・グラフ」は文字通り「光で・描く」だけれど…光を探す行為は、まぎれもなくスピリチュアル。

ふと思い出したんだけど…最初に写真を発明た人は、目の前の世界の光を印画紙に手書きで写し取ったんだ。カメラ・オブスクーラって言うらしいけど、絵画の発展にこの複写システムが大きく関与した事実は…絵画より写真が先にあったと考えてもいいってことなのかな?

どちらが先にしても、この目の前の光を、何とかつかみ取ろうとしたんじゃないかなと思う。今の僕にとっても写真は単なる光の記憶ではなく、神聖なものに触れられる一番身近なもの。とんな平凡な光景でも、その光にはきっと神が宿っているから。

デザイナー(創造主)がつかわした、この世界で、この小さな光に気づけるかどうか…僕もまた試されている。

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