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分りやすい写真を撮るな…と言われても…

 







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自分の撮った写真を評価してくれる雑誌や、写真のワークショップなんかを見ていると…講師の方から聞く言葉で…「分りやすい写真を撮るな」というものがある。何故かといえば、その講師によると…

「誰にでも撮れる、いわゆる分りやすい写真は…見た瞬間に興味を失うから」その反面…

「分りにくい写真は…これ何を撮ってるんだ…と興味が惹きつけられるから」だそうだ。

なるほど確かにそうだな…と思いながらプロの写真家が撮った作品や、新進気鋭の写真家の作品なんかを眺めてみる。最近ではネットの普及で、購読料を支払えば主だった写真集をパソコンで簡単に見られるし…もちろんGoogle検索で、有名どころは一通り見る事ができる。

前にも書いたけど…僕は他の人が撮った写真を見るのが好きで、プロ・アマ問わずよく見ている。インスタもその一つだけど、少しスタンスが違う。僕が主に見ているサイトは、カメラや写真が趣味のハイアマチュアが投稿するGANREFや海外のサイトではLenscultureなどがそうだ。

もちろん日本の戦後の有名な写真家たちの写真集も見るけど…こっちは高くて購入できないので近くの図書館で借りて見ている。少し話がそれてしまったので本題に戻そう。これらのサイトや写真集などで、先ほどの「分りやすい写真を撮るな」というテーマで俯瞰して見て見ると…。

写真講師の言っていたことの意味がよく分る。確かに「分りやすい写真」「ありきたりな写真」は一瞥しただけで、その写真を見なくなってしまった。そんな写真…プロの写真には少ないが、アマチュアの写真には結構多い。実は僕の写真もそうだが…今は何とかそこから抜け出したい…と思っている。

それと、もう一つ…僕なりに重要なことに気づいたことがあった。それは「分りやすくない写真」…つまり「分りにくい写真」の中に、大きく分けて二つのタイプがある…ということだった。それは…。

「被写体が分りにくい写真」と「撮影意図が分りにくい写真」だ。…簡単に言うと「これ何が写ってるの?」と「何でこれを撮ったの?」…という写真だ。どちらも確かに興味を惹かれる写真なのだが…。

「分りにくい写真」を撮るのは意外と難しい。どこが難しいかと言えば…結局「何だか分らない写真」になってしまうこと。そう…この僕の撮った写真がそうだ。「これ何の写真?」「何でこれを撮ったの?」…と一瞬、興味が沸くかもしれないけど…「その写真の中に見た人が何かを見つけられない写真」は…僕はダメだと思う。

つまり「分りにくい写真」はいいけど「分らない写真」はダメって事。何度見ても結局最後まで「何の写真か分らない写真」って…新進気鋭の写真家の作品に意外と多い。読み手の問題でしょう…と言われてしまいそうだけど、文学や芸術の世界と同じで、行間を読め…とか、分らないのが芸術だ…と言われても僕には納得できない。

だって…写真を見るのはプロばかりじゃなくて…僕みたいなアマチュアや、写真について全くの素人の人も居るわけで…むしろ素人の方が多いんじゃないかな?…そんな多くの人の心に届く写真がいい写真じゃないかな…と思う。

僕が大好きなアンリ=カルティエ・ブレッソンや、その後継者の一人と言われたソール・ライターなどの写真集を見ると…最初は、これ何だ…と思っていても、じっくりと写真を見ていると、何が写されているのか、そして撮影者が何を切り取りたかったのか…きちんと伝わってくる。

僕もいつか…そんな写真を撮りたい…と思っている。

― リュウショウ・オカモト ―

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