僕にとって一番神聖な”もの”は何?…と聞かれたら。

 




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スピリチュアルとフォトグラフを一つのテーマとして色々書いているけど…今の僕にとって原点とでも言える”もの”があります。それは…祖父から譲り受けたカメラ(アイキャッチ画像)OLYMPUS M-1。

フィルムカメラに詳しい人は知っていると思うけど…M-1は悲劇のカメラと呼ばれていて、生産台数5000台くらいで生産中止になったカメラ。原因はカメラ本体にあるのではなく…その名前。由来となったオリンパス開発者で米谷(まいたに)さんの”M”を使った”M-1”という名前に、当時、経営不振にあえぐ※ライカからのクレームが入ったことが原因だった。(※ドイツの老舗カメラメーカー)

奇しくもオリンパス”M-1”が発売された1972年は、ライカも1971年に”M5”を発売したばかりで、日本製の一眼レフ旋風からの巻き返しを図ろうと必死な時期だった。

1972年といえば、僕が丁度、小学校に入学したばかりの頃で…その頃、東京に住んでいた祖父に連れられ、原宿の表参道や渋谷のハチ公前で、よく写真を撮ってもらったのを今でも覚えている。このOLYMPUS M-1は、その時のカメラだ。

祖父が亡くなったのが、昭和が終わり平成に入ってすぐの頃で、その後、叔父に引き継がれていたが、数年前に叔父も亡くなり、僕の手元にやってきた。しかし…カメラに興味のなかった叔父が、おそらく物置にでもしまい込んでいたせいか、ファインダー内のプリズムは腐食し、フィルムの巻上げも壊れていて、残念だがカメラとしては機能しない”もの”だった。

でも”壊れたカメラ”だが僕にとっては、思い出の品。そして奇しくも、僕がカメラを本格的に始めた年齢は、祖父が芸術家(書家・彫刻家)として東京に進出した年齢と重なっている事実。そして、先日、もう直らないと諦めていた、OLYMPUS M-1をカメラのキタムラで、見てもらうと、奇跡的にレンズに問題はなく、本体も機械式のカメラの方が比較的直しやすい(まだ、はっきり直るかは分らない)と聞き、期待が沸いてきた。

僕にとって一番の神聖幾何学はこの「OLYMPUS M-1」に間違いない。さらに言えば、今年は平成最後の年。OLYMPUS M-1の修理には時間が掛かりそうだけど、昭和から受け継いだ”名機”が平成を通り抜け、次の新しい元号の年に、僕のフィルムカメラとして復活するかもしれない。

後は、オート機能に慣れきった、甘えたカメラ技術の僕が、オールマニュアルの、このカメラを使いこなせるかどうか…に掛かっているのだと、感動しながらも痛感している僕なのです。

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