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天使学入門「般若心経の中の天使たち」仏教・後編

2017/11/25
 







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今回の浪漫紀行天使学入門」は「般若心経の中の天使たち」を取り上げたいと思います。仏教・前編では般若心経について簡単に学びましたが、今回は般若心経と天使の関わりについて説明したいと思います。 😆

それでは早速、見てゆきましょう。 😉

目次

天使学入門「聖典の中の天使たち」般若心経(仏教)

仏教の悟りとは

前回でも書きましたが「般若心経」を一言で言うなら「悟りを開く方法の教科書」です。もっと言うなら、「菩薩」から「如来」になる方法を説いているのです。ですから「悟り」イコール「如来」という事でしょう。

そして、ここからが本題ですが、仏教にはこの「菩薩」と「如来」と名の付く神様が多くいらっしゃいます。この事で「一神教」のユダヤ教、キリスト教、イスラム教徒などからは「多神教」と思われてしまうのですが・・・。

これは僕の考えですが、仏教の「菩薩」「如来」は聖書に描かれている「天使」と同一ではないかと思うのです。

仏教は「多神教」ではないと思います。「般若心経」は「悟り」を開く、つまり「」と一体になる修行を説いていて「如来」や「菩薩」と呼ばれる神たちは「悟り」を開こうとする者を助けてくれているのだと思うのです。

仏教の「」は一言では説明が難しいのですが、僕が考えるところでは「大いなるもの」「宇宙」「サムシング・グレート」「」と一体になる事と考えられます。

この考えは外国の方には理解されにくい事ですが、日本の仏教では「人は死ぬと仏(ほとけ)さまになる」と言います。

 

仏教の修行者を助ける天使とは

世界に「天使」は星の数ほどいますが、仏教の仏様も天使に負けず劣らずいらっしゃいます。詳しくは別の機会にお話するとして、今回は重要なポイントだけ説明します。

 

まず、仏様にも天使と同じ様に階層(階位)があります。一番下から、いきますと「」と呼ばれる仏さまです。有名なところでは、映画の寅さんでおなじみの「帝釈天(たいしゃくてん)」です。別名「梵天(ぼんてん)さん」とも呼ばれ、十二天の一つで東方の守護神です。基本的に「」と名の付く神様は、仏教を守る神様の事で、「四天王」という言葉もこの「」の付く神様から来ています。

 

次に上の位は「明王」と名の付く神様です。有名な神様は「不動明王」「愛染明王」などです。「明王」と名の付く神様は、どれも怖い顔、怒った顔をされています。これは、言う事を聞かない者を戒めるために、怖い顔をされているそうです。

 

そして、その上が先ほど紹介しました「菩薩」と名の付く神様です。「観世音菩薩」「勢至菩薩」などが有名ですが、この二体の神様は兄弟であったという話はご存知でしょうか?仏教聖典「南伝大蔵経」の中の「華厳経」に見る、悲しくて美しい兄弟の話「早離(そうり)と即離(そくり)」の話です。この「早離」と「即離」の兄が「観世音菩薩」で弟が「勢至菩薩」です。

 

最後に一番上の位が「如来」と名の付く神様です。「釈迦如来」に「大日如来」がそうです。先ほども書きましたが「悟りを開かれた者」の事です。「釈迦如来」は「お釈迦さま」が悟りを開かれたのですが、「大日如来」はもともと、仏教からではなくインドの他の宗教いわゆる「密教」から来られた「如来」です。

 

仏教の中に天使がいると思ったきっかけ

実は僕が、天使の勉強を始めたきっかけは、この「菩薩」や「如来」が、もしかして「天使」ではないのかと思ったからです。こんな事を言うと宗教界の先生にしかられそうでが、しかし、もっと言わせていただくと世界中の宗教家が言っている「神」は元々一つで無かったのかと思っています。

 

そして我々世界中の人間は全て修行者であって人生は修行の場所だと思うのです。何も山や寺に篭(こも)ったり出家している人だけが苦行をしている分けではないと思います。僕も事業を経験した事がありますから人生の苦しさは身をもって分かっているつもりです。本当に苦しい時や辛い時などは藁(わら)をもつかむ思いです。そんな時、我々修行者を助けてくれる存在が「菩薩」であり「如来」であり「天使」だと思うのです。

 

天使に助けてもらう修行とは

先に修行を完成された先輩に癒しを求めるのが一番ですからね。そしてその崇高なる存在から癒しを得る方法論が「般若心経」であって「座禅」であり「瞑想」だと思うのです。

しかし自分ひとりだけで「瞑想」をしたり修行を完成させるのは一般の人間には難しい事です。そこで僕はガイドが付いた瞑想ガーディアン・エンジェル・セラピー」を考え出しました。

今回のまとめ

今回のお話いかがでしたか?人生は修行の場で「般若心経」はその方法論という事でしたが、しかし修行中にも多くの落とし穴が存在しています。

人間は弱いので人生の修行場があまりに苦しくてつい楽な道を選んだり、表面的に成功した時が一番危険です。そんな時、人は罪を犯してしまいます。それが聖書に書かれた「傲慢の罪」です。

次回はこの「傲慢の罪」を犯した天使の話をしなければいけません。そう「堕天使ルシファー」の話です。 😈

これからも浪漫紀行は、身近で見つけた奇跡や、みなさんに役立つ記事を中心に書いて行きたいと思います。みなさんの幸運な人生のお手伝いが出来ることに幸せを感じながら。RYUSHO

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