真正カバラの叡智について|日本のルーツと秦氏の正体から学ぶ

Image Photo By : n-kによるPixabayからの画像
【真正カバラの叡智を学ぶ】にあたって、このブログでは読者と共に学ぶスタイルでお届けしております。
学びシリーズ3回目のテーマは前回、告知させていただいた『日本のルーツと秦氏の正体』です。現在分っている最新の歴史と科学的考察を、踏まえながら、もう一度勉強して行きたいとおもいます。


…という訳で、今回も【真正カバラの叡智】を学ぶ前の基礎勉強として…
日本の文化とカバラとの関係について学んで行きたいと思いますが…今回の学びで『日本とユダヤのハーモニー』というサイト参考にさせていただきました。興味のある方はぜひご覧下さいませ。
目次
日本のルーツと秦氏の正体とは
秦氏(はたうじ)は、少しだけ学校の歴史で習ったと思いますが、日本の文化に多大な影響と功績を与えた一族であったにも関わらず、それほど大きく語られてこなかったと思います。
僕が学校で習った知識では…
- 百済からの渡来人(一族)であり(日本書紀より)
- 日本の宗教・文化に多大な影響を及ぼすした一族で…
- 平安京の造営をし…
- 皇族と血縁関係になる。
くらいの一文しか覚えていません。
秦氏が歴史上、あまり語られない理由
朝鮮半島から渡来した秦氏は、京の都周辺に多くの拠点を構え、持ってきた高度な技術と知識を基に、後に古代中国より『秦王国』と称されるほどの権力を掌握して行きます。
渡来よりわずかな期間で得た経済力を背景に、政治にまでも影響を及ぼし、平安京の造営から、日本文化の礎を築き、天皇家とも深い関わりを持った一族であったにも関わらず…日本の歴史教育ではあまり語られてきませんでした。
その理由は…
- 日本人のルーツが天皇を神と崇める単一民族でなくてはならないこと。
- 皇族と血縁関係にあったこと(皇族の血統関係に影響する)
- 日本土着民族(縄文人)に大陸渡来人(弥生人)の文化が混ざり合ったこと。
- 朝鮮半島からの渡来人である秦氏が、朝鮮人ではなかったこと。
実は僕も…カバラを勉強する以前から、これほど日本の文化に影響を与えた秦氏が、あまり語られてこなかった理由を、薄々知ってはいましたが…
上の3つは天皇家の皇統に関わることなので察していましたが、最後の『秦氏が朝鮮人ではない』…という事実は、比較的最近知りました。(カバラとの関係を学び始めてから)
いつの時代でも、我々国民に真実(不都合な真実)は語られないのは同じですが…その原因である既得権益も、さまざまなグループが関係していることが分っています。
特に最後の理由は名門○○大学の朝鮮史を創った○○名誉教授(ネット検索すると分ります)の権威を守るためだと思われます。(※天皇家の血統や日本のルーツが朝鮮にあるとしたいグループ)
しかし…近年の最先端科学では(DNA遺伝子検査ゲノム解析)朝鮮人・漢民族(大部分の中国人)と我々日本人とでは遺伝子レベルで多くの部分が異なっていると証明されています。※朝鮮人と漢民族(大部分の中国人)はほぼ似通っている
秦氏の出自について、歴史教育上、あまり深く掘り下げてしまうと間違いが分ってしまいますし…
一部の学者は、こういった新たな事実を無視し、それまで築き上げてきた理論(※捏造してきたとも言える)を守りたいと考えているかも知れませんね。← ※これを既得権益と言う

秦氏の出自を科学的に考える
先ほども述べましたが…日本書紀や古事記の記載を理由に『秦氏は百済から渡来した韓人(朝鮮人)である』という説を、今でも唱える人がいますが、最先端科学は、これを完全に否定しています。
しかし実は…。
遺伝子科学を用いずとも、江戸時代の朱子学者、新井白石が『古史通惑門』の中で『秦氏は辰韓に移住してきた※秦人である』と述べていますし…。※秦人とは古代中国に居住していた一族
また、その根拠となった古代中国の史書『三国志』の『魏志倭人伝』の中で『秦の苦役を逃れた民が馬韓に亡命し、その東方に居住したのが辰韓である』との記述もあります。
こういった歴史書から見ても『秦氏は朝鮮人ではない』ということが読み解けますが…では秦氏とは誰だったのか?…その出自、正体とは?

最先端科学DNA遺伝子ゲノム解析を調べてみました。
遺伝子解析は難しいので…専門サイト『ウエツフミとウガヤエズ王朝の研究』の文献を参照し勉強させていただきました。興味のある方はリンク先をご覧下さいませ。
上記サイトの文献によると…まず日本人のベースとなる※縄文人は【D2型】で、全国民の30%~50%がこのタイプであることが分っています。※世界的にみても日本だけに集中している土着民族
ここに南方系渡来人であるポリネシア系の海洋民族である※港川人【C1型】が加わり、大方の日本人が構成されています。※沖縄や和歌山など一部の地域に多くみられる。
更にここへ稲作文化を持ち込んだと言われている【O2型】のY染色体を持つ弥生人たちが移住してきました。
年代的には、紀元前10世紀ごろから…と言われていますが定かではありません。※歴史学で弥生時代は紀元前10世紀~紀元後3世紀中ごろまで。
遺伝子学的に見ると【O2型】の弥生人には、タイやベトナムからやってきた【O2a型】弥生人(高地集落型の阿曇氏など)と…呉(中国)や百済からやってきた【O2b型】弥生人(稲作集落型)に別れます。
ただし…弥生人が持ち込んだとされていた稲(大陸型稲)のDNAが、日本に現存する稲のDNAと一致しない事から…
現在では、弥生人が渡来する以前より縄文人によって稲作は行われており、弥生人が日本全土(縄文人たち)を征服したという訳はなくなりました。
さらに言うと弥生人たちも独自の言語を放棄し、日本語を使い始めたことからみても、現代的に考えると彼らは移民として定住したと考えるのが妥当と思われます。
さてここまで、大まかな日本人のルーツを歴史と最先端科学から検証してみましたが…問題の秦氏のDNAはどうだったのか?…見て行きたいと思います。
秦氏のDNAの型(Y染色体ハプログループ)は…
現在の最先端科学では…中国の大陸系の大半を占める漢民族が【O3型】であるのに対して、秦国(百済)から出雲を経由して京都へ入った秦氏一族が【O1型】であったと分っています。
ただこの事からも…日ユ同祖論で言われるように…秦氏が日本人の祖先ではないことは確かです。
しかし秦氏が…中国大陸と朝鮮半島に多い【O2型】ではなく、台湾先住民【O1a型】や中国南部・東南アジアに多い【O1b型】と非常に近いのは何故なのでしょうか?
秦氏の正体の可能性は…
『何故、朝鮮半島の百済から渡来した秦氏のDNAは【O2型】でなかったのでしょうか?』ちなみに…※大化の改新で滅亡した百済系の蘇我氏は【O2b型】です。
※中大兄皇子と藤原鎌足が、悪政の限りを尽くした蘇我入鹿(そがのいるか)を暗殺し(乙巳の変|いっしのへん)これにより蘇我氏本家が滅亡した。
『秦氏の正体とは?』この疑問を解く鍵となる説があります。それは…
秦氏は秦の始皇帝の末裔であった…という説です。
秦の始皇帝が漢人…いわゆる中国大陸の多くを占める民族でなかった…という事実は広く知られていますが、もし秦氏が秦の始皇帝の末裔ならば…
色んな可能性が見えてきますね。ただ今回はここまでにしたいと思います。
まとめ
今回は秦氏の正体を科学と歴史で学んできましたが…


それは…次回に学びたいと考えている…
- 秦の始皇帝の正体と…
- 秦氏と秦の始皇帝の関係性
…で分ってくると思いますので、楽しみにしていて下さいね。

